車いすテニスで長く活躍し、今年1月に引退した国枝慎吾さん。
現役時代はレジェンドとして、各国のテニスプレイヤーから尊敬を集めてきましたが、国枝慎吾さんは何がきっかけで車椅子テニスをはじめたのでしょうか?
他にも気になる噂が色々ありますね…。
そこで今回は、国枝慎吾さんについて調べてみました!
・プロフィール
名前 国枝 慎吾(くにえだ しんご)
生年月日 1984年2月21日
出身地 東京都
身長/体重 173cm/ 62kg
血液型 O型
所属 ユニクロ
11歳から車いすテニスを始める。
5度のパラリンピックで計4個の金メダルを獲得。
2004年、アテネ大会のダブルスで初の金メダルに輝き、シングルスは2008年の北京大会で初優勝。
2012年のロンドン大会で2連覇を果たす。
日本選手団主将も務めた2021年の東京五輪ではシングルスで3度目の優勝を果たした。
グランドスラム車いす部門で、男子世界歴代最多となる計50回(シングルス28回、ダブルス22回)優勝の記録保持者。
年間最終世界ランキングでは1位を10回記録した。
2023年1月22日、世界ランキング1位のまま現役引退を表明。
同年3月3日、国民栄誉賞を受賞した。
・なぜ車椅子…?
11歳の国枝慎吾くんへ
ユニクロ、今朝の新聞広告 pic.twitter.com/fnJfDWIGpc— ことばと広告 (@kotobatoad) February 7, 2023
国枝慎吾さんはいつから車いす生活なのでしょうか?
9歳の頃に脊髄腫瘍を発病し、小学4年生から車いす生活を余儀なくされてしまいました。
脊髄内に発生した腫瘍や、クモ膜,硬膜、神経鞘(神経を保護する膜)、さらに脊柱管内の軟部組織や椎体に発生した腫瘍により、脊髄や神経根が圧迫される病気の総称
悪性の場合は、急激な腰痛や背部痛で気づくことが多く、手足のしびれや痛みを伴うそうで歩行が困難となる患者もいるようです。
最初は近所の接骨院や整形外科に足を運んだが、明確な理由がつかめなかったという。だんだん腰の痛みがひどくなり、「ベッドに寝ることができず、食卓のいすに腰かけて、頭を食卓に寝かせて寝ている時期もありました」。
千葉県松戸市の病院の整形外科に行くと小児科に回され、救急車で東大病院に運ばれて手術となった。脊髄の腫瘍が原因で、すでに歩けない状態だった。
出典 AERA dot
国枝慎吾さんは運動が大好きな少年だったそうで、特にマラソンに燃えていたとのこと。
手術後にいつマラソン大会に出られるかが一番の楽しみだったそうですが、これから車椅子生活になることを告げられると、「窓から飛び降りられるなら、飛び降りたい」と母親に漏らしたそうです。
小学4年生で、これからずっと車椅子生活と言われても現実を受け入れるのは難しかったのではないでしょうか?

当時、漫画『スラムダンク』が流行っており、退院後、実家にバスケットボールのリングを設置してもらい、放課後に友人と一緒にバスケットボールに熱中になる日々を送っていたそうです。
その後、本格的にバスケットに打ち込もうと車椅子バスケのチームを探しましたが、残念ながら見つからなかったといいます。
そんな中、テニスと運命的な出会いを果たすのでした。
もともとテニスをやっていた母から車いすテニスを勧められた。自宅から車で30分の距離にあった吉田記念テニス研修センターで車いすテニスの教室が開かれていた。テニス用の車いすに乗った直後から、驚異の才能を見せつけ、巧みな車いすさばきを見せたという。最初は気乗りしなかったテニスをやってみようと思った。
出典 olympics.com
小学6年生の時に車椅子テニスを始めると天性の才能を発揮。
麗澤高校に進学し、17歳の頃にパラリンピック出場選手を多数指導している丸山弘道コーチから指導を受けるようになり世界的な選手へと飛躍していくのでした。
国枝慎吾さんはの実家の近くに車椅子バスケのチームがあれば、車椅子テニスの教室に通うことはなかったかもしれませんし、車椅子テニス界のレジェンドが誕生していなかったと思うと本当に運命的なものだったんだなと感じますね。
・本当は歩ける…?
国枝慎吾さんのことを検索すると、「本当は歩ける?」といったサジェストに出てくるのですが……これは事実なんでしょうか?
調べてみると、国枝慎吾さんは実際に歩く姿を公開していました。
2010年11月に行われたイベント「KNOW NO LIMIT 2010」にて14歩の歩行を披露。
このイベントは、脊髄損傷者専門トレーニングジムの「J-Workout(ジェイ・ワークアウト)」が開催したものでした。
国枝慎吾さんは、2009年11月頃からJ-Workoutでトレーニングを始め、10ヵ月で車椅子から自力で立ち上がることに成功したそうです。
9歳から車椅子生活を送っており、足は変形してしまっていたそうですが、献身的なマッサージやリハビリを行い自力で歩くことが出来るまでに…。
もう歩くことはできないと宣告され、「窓から飛び降りられるなら、飛び降りたい」と母親に対し漏らした少年は強く成長し、並大抵ではない努力を続け、(14歩ですが)ついには自力で歩けるように。
国枝慎吾さんのこのエピソードは、「愛は地球を救う」を謳う某番組よりも同じ境遇の子供たちを勇気づけることになるのではないでしょうか?
・現在の世界ランキングの順位は…?
※2021年の情報。
国枝選手は年間最終世界ランキング1位を8回記録しています。
しかし、これまでずっと順調なテニス人生だったかというとそうではありませんでした。
2016年、男子シングルス3連覇がかかった、リオパラリンピックのシングルスでまさかの準々決勝敗退。
慢性的な右ひじの痛みに苦しみ、ひじのクリーニング手術を受けましたが完全な回復はせず、試合には痛み止めを打ち出場しましたが、「ボールが飛んでくるのが怖かった」と思うこともあったそうです。
一時は引退を考えることもあったそうですが、国枝選手は奮起しました。
引用元 https://twitter.com/
引退も覚悟したかつての王者が取り組んだのはフォームや用具の改造だ。ひじに負担のこない握り方やグリップを探り、尻を包み込むバケットシートを初採用した。当初はフォームが安定せず、ラケットが地面に突き刺さることもあった。
出典 AERA dot.
2017年はフォームの改造に取り組み、2018年の全豪オープンで2年ぶりのグランドスラムのタイトルを獲得。
全仏オープンでも優勝し世界ランキング1位に返り咲きました。
2019年はツアー優勝9回、自己最多となるシーズン53勝の大記録を打ち立てましたが世界ランキング2位で終えています。
2020年は、新型コロナの影響でツアーが中断する苦しいシーズンになりましたが、全豪オープンと全米オープンで優勝し、2018年以来となる世界ランキング1位となりました。
これまで王者であった選手が自分のフォームを変えるのは相当な覚悟がいることだと思います。
しかし、その経験があったからこそ再び輝きだすことが出来たと国枝選手は語っています。
あのときにチャンピオンから引き摺り下ろされて、純粋なチャレンジャーに戻ることができて、バックハンドを克服して、また世界ナンバー1に返り咲いたという経緯もありました。一度チャンピオンでなくなったことによって重圧から解放されてテニスツアーをエンジョイできるようになったことは、この5年間で変化した部分だと思います。
出典 GQ JAPAN
王者のプレッシャーは計り知れないと思いますし、まさに怪我の功名だったのかもしれませんね。
現在、東京パラリンピックで熱戦を繰り広げている国枝選手ですが、リオパラリンピックの雪辱を果たす大会にしてほしいですね。
※2023年1月、世界ランキング1位のまま現役引退しました。
・年収は…?
https://twitter.com/reitakuuniv/status/1533694572047777792
現役時代、国枝慎吾さんの年収は賞金とスポンサー収入を合わせて4000万円~5000万円程度といわれていました。
グランドスラムの賞金
・全豪オープン:600万円
・全仏オープン:430万円
・全英オープン:400万円
・全米オープン:非公表
今年に入って本格復帰した錦織圭選手の年収が約18億円と報じられているのですが、バリバリの世界王者の時代に年収5000万円というのは少し寂しいですよね。
車いすテニス界は選手への待遇を改善していってもらいたいところ。
国枝慎吾さんが日本パラスポーツ協会の理事に就任したことですし、何かしら動きはあるかもしれませんね。
・結婚相手の嫁と子供は…?
ここからは、国枝慎吾さんのプライベートについても迫ってみようと思います。
国枝慎吾さんは2011年8月8日に結婚。
お相手は岡崎愛さん。
2人は麗澤大学時代にテニスサークルで知り合ったんだとか。
2004年、20歳の時に交際をスタート。
7年間愛を育み2011年にゴールイン。
現在もお子さんはいないようです。
愛さんは交際している時から国枝慎吾さんを献身的にサポートしてきたそうです。

愛さんは結婚して2年後にアスリートフードマイスター3級を取得。
食事で怪我は治せないし絶対勝てるわけではないけれど、バランスの良い食生活が風邪をひかない健康的な体を作り、日々しっかりと練習に打ち込め、長時間移動&時差もあり気候も違う遠征先でも体調を崩さず、試合でしっかり実力が出せ、それが勝利に繋がると思っています。だから私は夫を食でサポート! pic.twitter.com/hCNGaqRb0p
— 国枝愛/Ai Kunieda (@aikunieda) September 23, 2020
愛さんは食事面だけではなく、「やはり公の場では言えず、家で妻にしか言えないことがいっぱいありましたし、弱い自分を見せられるところが家だった。しかし、それが僕にとっては救いだった」と明かすように精神面でも支えられたと国枝慎吾さんは明かしています。
そして、今年1月。
国枝慎吾さんは現役を引退することを発表。

愛さんはアスリートとしての国枝慎吾さんを見事にサポート。
現役を退いても国枝慎吾さんには様々なオファーが殺到し、忙しい日々を過ごされています。
これからも愛さんのサポートは必須でしょうが、現役時代にはできなかったことを2人で楽しんでもらいたいですよね。
最後までお読みいただきありがとうございます。