東京オリンピックでは惜しくもメダルには届きませんでしたが、男子サッカーは高視聴率を叩き出すなど、日本代表への注目度は高まっていました。
しかし、9月2日に行われたW杯カタール大会アジア最終予選の初戦となったオマーン戦で、まさかのホームで敗戦。
森保一監督の手腕に疑問を抱くメディアも少なくありませんでした。
今回は、森保一監督の解任の話題や評価されない理由などを掘り下げてみようと思います。
・プロフィール
名前 森保 一 (もりやす はじめ)
生年月日 1968年8月23日
現年齢 53歳
出身地 長崎県長崎市
身長/体重 174cm/ 68kg(現役時代)
血液型 型
利き足 右足
ポジション MF
所属 日本代表監督兼東京オリンピックサッカー日本代表監督
年俸 約1億5000万円
小学5年生の頃から本格的にサッカーを始め、高校は長崎日本大学高等学校へ進学。
国体の長崎選抜に選ばれたものの、高校時代は国見高校と長崎県立島原商業高校が全盛期だったことから全国大会出場はなく、全国的には無名の選手でした。
高校時代の監督と今西和男総監督が知り合いだったこともあり、1987年にマツダへ入団。
ハンス・オフトに素質を見出され、1991年にプロ契約を結ぶ。
その後、Jリーグ開幕時からサンフレッチェ広島の不動のボランチとして活躍。
1995年7月、右足首関節脱臼骨折を経験。
パフォーマンスが落ち、クラブの経営悪化に伴い放出候補に。
1998年、恩師であるオフト監督に誘われて京都パープルサンガへレンタル移籍。
翌年、広島へ復帰するも怪我と森崎和幸選手の台頭によって出場機会が減少。
出場機会を求めて2002年にベガルタ仙台へ移籍するも、翌年チームはJ2に降格。
戦力外通告を受け、2004年1月に現役を正式に引退。
J1リーグ通算293試合出場15得点。
日本代表では35試合出場1得点。
その後、指導者の道へ。
2007に行われた「FIFA U-20W杯カナダ2007」の日本代表チームのコーチを経て、サンフレッチェ広島トップチームのコーチを務めました。
2010年アルビレックス新潟のヘッドコーチを経て、2012年サンフレッチェ広島の監督に就任。
就任1年目にチームを初優勝に導くと、4年間で3度の年間チャンピオンに輝きました。
2017年7月、成績不振を理由にサンフレッチェ広島の監督を辞任。
同年10月、東京五輪日本代表監督に就任。
2018年7月、東京五輪日本代表監督を兼任したまま、ロシアW杯日本代表コーチから昇格する形で、4年契約で日本代表監督に就任。
・現役時代は活躍してた…?
現役時代の森保監督は、派手さはなくとも中盤で確かな働き、そして強烈なミドルシュートを放つ姿が印象的でした。
日本で初めてボランチとして認識された選手といわれています。
「自分自身では守備的MF、ディフェンシブハーフと思ってました。とくに代表では守備が7で攻撃は3、あるいは8-2くらいに考えていたので」
代表デビュー戦で、敵将バシーレとカニージャに称賛された。かいつまんで述べれば「日本にもよきボランチがいるではないか」。実際に「ボランチ」なる言葉は用いられなくとも、危機管理や攻守の均衡に心身を尽くす中盤の地味な働きに世界の光は当たった。ほどなく、そんな仕事は「ボ」で始まる響きとともに広く認められ、現在の隆盛にいたる。
出典 number
当時、カニージャなのかカニーヒアなのか呼び方が変わり困惑しましたが、世界的なストライカーからボランチとして高く評価されています。
この試合は1992年5月のアルゼンチン戦なので、Jリーグ開幕前の話ですね。
地元が広島で父親がマツダに勤めていましたので、森保監督のマツダ時代のプレーも幼いころに見た記憶があるのですが、森保さんの存在を明確に意識しだしたのはJリーグが開幕してからでしょうか。
Jリーグ開幕の翌年、1994年にサンフレッチェ広島は初優勝(第1ステージ)を果たしました。
森保監督は、その原動力になっていましたが、個人的には年末のサントリーチャンピオンシップで、ラモス瑠偉選手に芸術的なループシュートを決められたイメージが今も色濃く残っています。
森保監督の現役時代のゴール集を見つけましたのでご覧ください。
懐かしい顔がたくさん…。
私は盧廷潤選手が好きでしたね。
日本代表として、森保監督は1993年のワールドカップアジア予選で「ドーハの悲劇」を経験しています。
未だにあのゴールの動画を観ると外れないかなと思う自分がいます。
その後、ファルカン監督や加茂周監督にも代表に選出されましたが、怪我の影響や山口素弘選手の台頭で1996年2月以降は代表から外れました。
・サッカー日本代表監督を解任…?
「W杯カタール大会アジア最終予選」初戦のオマーン戦で0-1で敗戦。
試合後、SNSでは「森保解任」というハッシュタグをつけたツイートがトレンドに…。
- 本当に手遅れになる前に森保解任するべきだと思う
- 森保解任でお願いします。ホームでオマーンに負けるとか言い訳できないよ
- 森保監督であと9試合やることが恐怖なんですけど・・・
- 大迫対策してきているオマーンに対して大迫を90分使う意味なに?
- え?まじかよ。内容もやばいしこれワールドカップ行けないだろwとりまはよ手遅れになる前に森保解任してくれい
- マジで森保解任しろよ。オマーンの方が戦術見えたぞ。そしてそれに対するリアクションが何も無かったぞ森保。直ちに辞めろ。
- そりゃあ森保解任論が出てもおかしくないくらいの屈辱的敗戦でしょ…1試合の結果のみで決めるのもアレでしょうが、流石にひでえ試合だった
- 森保監督は修正力がないってずーーーーーっと言われ続けてたはずだけど、解任しなかったツケが来たね。
兼任で指揮を執った東京オリンピックから実は3連敗なんです。
しかもホームで。
元々、森保監督の選手起用や采配に疑問を抱くファンは少なくなく、今回の敗戦で不満が噴出。メディアでもその傾向はみられました。
Jクラブ強化担当者からは「簡単には立て直せないのではないか。そもそも選手の招集においても、選手のコンディションの見極めや、国内組の層を厚くしておくなど、やれることをできていたのか」と森保監督の手腕を疑問視する声が噴出している。2019年12月の東アジアE―1選手権で日韓戦に敗れ、その翌月のU―23アジア選手権では1次リーグ敗退の失態を犯した指揮官への批判はくすぶってきたが、今回の敗戦で一気に再燃した。
また、以前に協会の技術委員を務めた経験のある関係者は「連敗したら協会は動かざるをえないだろう」と解任の可能性を指摘。日本がW杯に出場した過去の最終予選で連敗を喫したことはなく、次戦の中国戦の結果次第で森保監督が更迭される〝クビ切りマッチ〟になりそうだ。
出典 東スポ
他にも「森保監督のままでは最終予選敗退」の指摘といった記事など、解任要求ともとれる記事もありました。
日本サッカー協会の田嶋会長は、「とても残念ながら敗戦という結果になったが、最終予選10試合のうちの1試合と捉え、気持ちを切り替えて次の試合に臨むとともに、残り9試合でカバーしていかなければならない」と、森保監督の解任について言及していません。
ただ、次の中国戦で負けるようなことがあれば事態は大きく動きそうではあります。
・評価されない理由は…?
森保監督が評価されない理由は何でしょうか?
SNSでサッカーファンの声を拾ってみました。
うん、まぁ森保監督に修正力や対応力がないのは分かってたからこうなる可能性は十分にあった。本当に決断するなら今だと思いますよ、日本サッカー協会。このままだと本当に取り返しのつかないことになる
まず森保さんはメンバーの所属チームでのプレーを見ているのか?出場機会を得てないメンバーをスタメンで出す、なんなら無所属のメンバーを起用する。本当に理解出来ない。途中出場の古橋も本来、抜け出しが強みの選手なんだから、CF以外での起用しか選択肢はなかったと思う。
現役時代、自身が「ハンス・オフトの申し子」と呼ばれたように、代表になんであの選手が選出されるのか?と疑問を呈されるほど、森保監督はお気に入りの選手を起用する傾向があるといわれています。
さらに対応力や決断力のなさも指摘されています。
オマーン戦では、東京オリンピックで起用された選手が休みもなくシーズンに突入し、また未所属の選手もコンディション的に問題があったのは確かでした。
実際にオーバーワークで酒井宏樹選手が代表を離脱することになりました。
しかも、セルビアで1か月キャンプを張って入念に日本対策をしてきたオマーンに対し、森保監督はいつもと変わらないサッカーを展開。
苦戦は偶然ではありませんでした。
バンコビッチ監督は「戦術的にどうやって驚かせたかというと、ハイプレスだ。ハイプレスをすることによって、日本が最近経験してきた3、4試合とは違う内容の試合をしたと思う」と攻略法を説明した。
出典 サッカーダイジェスト
ダイヤモンド型の4-4-2のフォーメーションと相性が悪く、ハイプレスに苦しみボールをロストする場面が目立ち、試合内容は得点差以上の差がありました。
元日本代表の岩本輝雄さんは、日本はまんまとオマーンの術中にハマってしまったと語っています。
オマーンは中央を固める守りをしてきた。そうなれば、日本としては両サイドに活路を見出して攻めるのがセオリーだけど、これもボールを“運んだ”というより“運ばされていた”という言い方のほうが合っているかもしれない。
オマーンからすれば、そこはやらせていい、と。最後は中で弾き返せばオーケーという割り切った守り方をして、実際にそれは奏功していた。
出典 サッカーダイジェスト
試合を完全にオマーンにコントロールされていたにもかかわらず、有効な手を打てませんでした。
試合後、吉田麻也選手が「負けるべくして負けた」と語った意味は、森保監督の采配に大きく関係していると感じます。
サンフレッチェ広島時代から同じ広島の球団であるカープの野村謙二郎さんと親交が深く、森保監督はペトロヴィッチ監督のスタイルを継承し若手を育成。
野村謙二郎さんは前任のブラウン監督のメジャー流の野球を否定しつつ若手を育成。
同時期に広島のチームを強くする課題を背負っていたことからメディアで対談する姿が見られました。
監督としては森保監督が圧倒的に結果を残したのですが、日本代表監督になってからは、現在のカープの監督である佐々岡監督となにか被るんですよね。
モチベーターでもなく、特別采配が優れているわけでもない。
選手の能力に頼っただけの戦術。
多分、広島の人やカープファンならよく分かると思います。
しかし、代表監督を続けるのであれば、この評価を覆してもらわないといけません。
次の中国戦は、本来は中国開催でしたが、新型コロナによる渡航制限でドーハに変更になっています。
あの「ドーハの悲劇」の地です。
これまで、W杯最終予選の初戦に敗れ組内1位で本選出場を決めたのは日本だけ。
森保監督にとって、ドーハを悲劇ではなく歓喜の場に変えていけるように中国には必ず勝ち、予選突破へ勢いをつけてもらいたいですね。
最後までお読みいただきありがとうございます。