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原大智がモーグルを引退?なぜ二刀流&競輪でも活躍できるのか疑問の声も?

平昌オリンピックのフリースタイルスキー男子モーグル・銅メダリストの原大智選手。

2020年5月に競輪選手としてデビューした後も“二刀流”としてモーグルを続け、北京オリンピックでもモーグル種目代表選手として出場を果たしました。

選手はオリンピック前からモーグルからの引退を表明していましたが、引退理由はなんだったのでしょうか?

また、二刀流に挑戦した理由も気になりますね…。

・・・ということで今回は、原大智選手の二刀流についてや引退理由、競輪の成績などを調べてみました。

 

 

 

・プロフィール

 

引用元 https://mobile.twitter.com/

 

名前 原 大智 (はら だいち)

生年月日 1997年3月4日

現年齢 24歳

出身地 東京都渋谷区

身長/体重 172cm/80Kg

血液型 B型

期別 第117期生 (競輪)

級班 A級2班 (競輪)

脚質 逃げ (競輪)

師匠  和田 圭 (競輪)

所属 日本競輪選手会宮城支部 (競輪) 日本スキー場開発クラブ所属

 

 

 

3歳からスキーを始め、小学6年生の時に本格的にモーグルを始めた。

小・中学校を渋谷区内で通い、新潟県などで練習を重ねた。

16歳の時に当時モーグル強豪国であったカナダに単身でスキー留学。

2018年、平昌オリンピック初出場にして、フリースタイルスキーモーグルで日本男子史上初となる銅メダルを獲得。

その後、オリンピックなど国際的な大会で優秀な成績を収めた選手が対象となる「特別選抜試験」に合格して競輪学校に入学。

117期生として2020年5月にデビューし、現在A級2班。

 

 

 

・モーグルを引退…?

 

それまでワールドカップで表彰台に上がった経験もなく、平昌オリンピックでは無名に近い存在だった原大智選手。

しかし、持ち前の攻めのターンを決め82.19点を記録。

男子モーグル界に初のメダルをもたらし、一躍時の人となりました。

 

北京オリンピックは競輪選手との二刀流として挑戦。

本格的にモーグルに復帰したのは2020~21年シーズンで、全日本選手権は4位とモーグル種目代表選手には厳しい立場でしたが、追加メンバーとして選ばれたワールドカップの第4戦で2位に入るなど結果を残したことで代表に選出されました。

北京オリンピックでは予選1回目で76.11点を記録し決勝に進出。

20人で行われた決勝1回目は78・59点を記録し準決勝といえる決勝2回目に進出。

しかし、決勝2回目は76.82点と得点を伸ばせず、決勝戦となる決勝3回目に進める上位6人に入れず、7位に終わりました。

 

引用元 https://mobile.twitter.com/

 

競技が終わった直後、「本当につらかった。本当によく頑張った」とコメントした選手の目には涙が溢れていました。

実は選手、北京オリンピックをモーグルの集大成として位置付けており、オリンピックのシーズンかぎりで現役を引退する意向を明らかにしていました。

 

原選手は「北京オリンピックに出場してメダルを取って二刀流が成功する。そこに向けて頑張っていきたい。僕自身は、ことしでモーグルは終わりと決めている。北京オリンピックが終わったら、競輪一本に絞っていきたい」と話し、オリンピックのシーズンかぎりで現役を引退する意向を明らかにしました。

出典 NHK

 

オリンピック代表選考前の昨年8月に引退を表明していたことから決意は固いのでしょう。

引退後は競輪に専念していかれるそうですが、なぜモーグルを引退することを選んだのでしょうか?

 

「競輪と、どっちも大事だという気持ちがすごくある。ただ競輪でも上を目指すと考えた時、スキーをやりながらでは限界で自分の体が壊れてしまう。北京オリンピックまでが自分の体と心が持つ期間だと思っている。ダラダラと続けるより、決めたほうが自分としてもやり切れる」と理由を説明しました。

出典 NHK

 

モーグルを辞める一番の理由は、二刀流はあまりにも心と体に負担が掛かるんだそうです。

俗にいう体力の限界というわけではなく、競輪に専念するための前向きな決断といえます。

 

競輪は五輪のケイリンとの掛け持ちさえも難しいといわれており、自転車とエア(ジャンプ)もあるモーグル、イメージ的には剛と柔ですし同時に続けるのには無理があるのは素人目にも想像がつきます。

選手は競輪選手として活動開始後、競輪とモーグルとの比重は8対2で競輪の練習に比重を置いていたそうで、体にも変化が出てきているそうなんです。

自転車競技には瞬発力や持久力が必要な種目であり、競輪養成所入所当時に選手は持久力が不足していたそうです。

それを補う練習を行うことで他競技には不向きな筋肉がつくんだとか…。

 

筋肉の付き方が違うので、競輪を極めれば他競技には向かなくなる。今回がギリギリ、モーグルに出られる体型ではなかったか」と競輪養成所の教官が語っているように、北京オリンピックが肉体的にモーグルとの二刀流を実現させる最後の機会だったようです。

競輪とモーグルの二刀流は想像を絶するほど難しいことが分かりましたが、なぜ選手は二刀流に挑戦したのでしょうか?

 

 

 

・なぜ二刀流…?

 

まず、選手が競輪とモーグルの二刀流を宣言するまでを簡単に振り返ってみます。

平昌オリンピックでフリースタイルスキー競技の男子種目で日本選手として初のメダルを獲得。

その後、世界選手権でデュアルモーグルとモーグルで銅メダルを獲得し、2019年は自己最高のシーズン6位を記録。

 

2022年に迫る北京オリンピックでの金メダル獲得を誰もが期待しましたが…。

選手は競輪選手を目指して日本競輪選手養成所へ入所することを発表。

スキーから競輪という前例のない挑戦にも「今まで誰もやったことがないので、やってやろう!という気持ちになります」と意気込みを語り、「競輪とモーグルをできるのはこの年しかない。これで立ち止まったら何もない人生になる」と、競輪とモーグルの両立を目指すことを表明しました。

そもそも、選手はどうして競輪選手を目指そうと考えたのでしょうか?

 

「『競輪どうだ?』と言ってくれた人がいて最初は断っていたんですけど、みんなすごすぎて逆に倒したいという気持ちがすごく出たのでそれでやってみようと思った」

出典 FNNプライムオンライン

 

自転車を漕ぐトレーニングをしていた際にトレーナーから「骨格や筋肉のつき方が競輪向きだ」と勧められたことが競輪選手を目指すキッカケだったそうです。

 

引用元 https://twitter.com/

 

当初はモーグルとの両立は厳しいと考えていたそうで断っていたのですが、化け物クラスの身体能力の競輪選手を見て委縮するどころか、そういった選手を倒したいと思うようになり競輪選手を目指すことを決めたそうです。

まるでドラゴンボールの孫悟空のようですね(笑)。

オラ、ワクワクすっぞ!」とばかりに選手は二刀流の挑戦に踏み切り、オリンピックなど国際的な大会で優秀な成績を収めた選手が対象となる「特別選抜試験」に合格して競輪学校(日本競輪選手養成所)に入学。

1年間の競輪学校の訓練を受け、国家資格である競輪選手資格検定にも合格し、2020年5月に競輪選手生活をスタートさせました。

 

これまでの経緯を文章では簡単に説明できますが、競輪への挑戦は「ワクワクする」なんて軽々しくは言えないほど厳しいものだったようです。

まず、競輪学校は軍隊のような生活を送ることで有名です。

 

1日の生活は過酷だ。毎日午前6時半に起床。全員外に集まり、点呼から始まる。そして午後は、5時までびっしり「訓練」が続く。外出は2週間に1回で、スマートフォンの利用も決められた時間の中だけ。「基本的には月曜から土曜までは養成所で携帯電話を預かって、その時間だけ本人に預けて決められた場所で使用させるということ」(大川教官)。モーグル時代からは想像もつかない日々を送った。

出典 the answer

 

スキー界ではメダリストとして一目置かれる存在でありながら、自分よりも年下の候補生と同じ立場として生活を共にするというだけでもしんどいことが想像できますが、厳しい訓練の後には選手自ら自転車経験が豊富な候補生に質問することもあったそうで、その努力家な面や真摯さから周囲から慕われていたといいます。

 

競輪学校には特別選抜試験での入所でしたが、通常の候補生よりも3週間早く入所し、自転車の基礎から教えこまれたそうです。

入所当時は「下半身はガッチリしていて、バネがあった。ただ踏み込むためにハンドルを引く力、腹筋、背筋はまだまだだった。上下半身のバランスも悪かった」と教官が語っているように他の候補生よりも見劣りする部分も多かったようで、質より量を重視するハードなジムトレーニングをこなす日々が続いたといいます。

 

 

卒業認定考査では規定タイムを1回目でクリアできず追試を受けたそうです。

クリアできなければ退所になるところでしたが、3週間後の追試に向けて猛練習を重ね無事に合格しました。

当時その様子を見守っていた教官が「ここでのつらさや厳しさというところが、ほかの子以上にプラスになると感じています」と語っているように、競輪学校での訓練がモーグル選手としての成長にも繋がっていたことに選手は気づいたそうです。

 

現在の太ももまわりは62センチ。サイズ自体は以前とそれほど変わらないそうだが、中身が詰まってきた。競輪で下半身を鍛えてきたことによるモーグルへの効果について、「切り返しがうまくなっているのと、ターンでの失敗要素が少なくなった。もともと苦手だったジャンプに練習時間をかけられるのが大きい」と話す。

出典 日刊スポーツ

 

競輪養成所の教官が「競輪を極めれば他競技には向かなくなる」と競輪選手特有の筋肉がつくことを危惧していましたが、下半身を鍛えたことによる悪影響はなく、体幹が良くなるなどむしろモーグルに良い影響があったそうです。

残念ながら北京オリンピックでメダル獲得はなりませんでしたが、選手はこのようなコメントを残しています。

 

最高のオリンピックです。僕にとって、やっぱりオリンピックは祭り。楽しまないと損なので、すごい楽しくやれたと思います。僕のわがままを支えてくれた競輪界、親、スキー界、スポンサーの方々に感謝しかありません。

出典 日刊スポーツ

 

最高のオリンピック。すごい楽しくやれた」・・・二刀流という困難な道を選びながらも最後までやり切ったことはメダル以上に価値のあるものだったのではないでしょうか?

モーグル選手としてはこれで引退しますが、選手の戦いは続きます。

 

 

 

・競輪でも活躍できる…?

 

2020年5月にデビューした選手。

初勝利は8月16日のいわき平競輪場でのFII2日目第1レースでした。

12月30日の西武園FII(ミッドナイト)にて初優勝を果たしています。

 

 

 

通算成績は…。

総出走回数出走数優勝1着2着3着着外棄権失格勝率2連対率3連対率
~1昨年合計351864152122.8%40.0%51.4%
F2351864152122.8%40.0%51.4%
昨年合計4601596151032.6%52.1%65.2%
F24601596151032.6%52.1%65.2%
本年-----------
通算合計811231510303128.3%46.9%59.2%
F2811231510303128.3%46.9%59.2%

 

 

 

競輪に専念することでさらなる飛躍が期待されており、(現在はA級2班ですが)競輪選手養成所の教官は「1、2年後にはS級に上がれるかなと思っています」と話しています。

選手ランクは6ランク分かれており、A級2班は下から2番目。

A級3班 → A級2班 → A級1班 → S級2班 → S級1班 → S級S班の順番となっています。

また、日本競輪選手養成所の滝沢正光所長も選手の競輪選手としての成功を確信していると言います。

 

「いろいろなスポーツをすることによって、いろいろな体力や体幹が鍛えられた状態で自転車の世界に入ってくるから、すごくアドバンテージはあると思います。自転車は簡単なようで、一定のレベルを超えるスピードを出すためには体力的にかなり過酷になってくるので。そういうベースがしっかりしている人は順応しやすいな、という感じはします。(スキー界からは)私の現役時代も、アルペンスキー出身で競輪でも活躍した選手を見ました。だから、成功するなという確信はありましたね」

出典 時事ドットコム

 

ただ、周囲から期待が集まる中、デビュー直後は成績はふるわず、勝てない日々が続くとファンから強烈なヤジが飛んでくることもあったそうです。

それでも選手は「惑わされていたら、やりたいことはできない。全力で頑張っている。何を言われても気にならない」と練習場で黙々とペダルをこぎ続けたそうです。

 

 

そして8月に初勝利を挙げ、12月30日には西武園FIIで初優勝を飾り、ヤジを結果で見返したのでした。

・・・そういえば、選手はいくら稼いでいるのでしょうか?

 

競輪選手には1開催で20万円の出走手当が出るそうです。

出走手当だけで年に500~600万円が保証されているそうで、この出走手当に賞金を加算された額が総収入になります。

新人選手が多く所属するA級3班の総収入は約600~800万円といわれており、S級S班では年収1億円超えの選手もいるそうです。

 

ちなみに選手の競輪での収入は、1年目で700万円+α、2年目で920万円+αと2年目で1000万円以上稼いでいるようです。

モーグルの国内大会の賞金は50万円ほどといわれており、海外の大会は数千万円の賞金が出るそうです。

海外の大会でバンバン勝つのは難しく、モーグル選手としてはスポンサーからの収入が主でしょうし、安定した収入を考えると競輪に専念した方がいいのかもしれませんね。

 

平昌オリンピック終了後、選手は「昔からの夢である金メダルは絶対取りたいなと思っているので、この先も目標は金メダルだと思っています」と会見で語っていました。

オリンピックでは金メダル獲得は叶いませんでしたが、二刀流としての経験は競輪に専念した時に活きてくるはず。

競輪界の金メダル”獲得は簡単ではないでしょうが、数年後、きっと『KEIRINグランプリ』で優勝した選手の姿が見られるのではないでしょうか?

この機会に競輪場に行ってみるのもいいかもしれませんね。

みんなで原大智選手を応援しましょう!

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

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