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アントニオ猪木の死因は心アミロイドーシス病?世間の反応&結婚相手の嫁や子供は?

日本を代表するプロレスラーであり、実業家や政治家としてもご活躍されたアントニオ猪木さん。

10月1日朝、その猪木さんが都内の自宅で亡くなられたことが明らかに…。

元気が一番、元気があれば何でもできる」「踏み出せば、その一足が道となる」など数々の言葉で人々に勇気を与え、レスリングの理想形ともいえる「ストロングスタイル」を確立、そして総合格闘技のパイオニアとして、猪木さんが築いてきたもの、影響を与えたものはあまりに多く、格闘技界への貢献だけでも書き切れません。

そんな超人も長らく難病と闘っていたといいます。

一体、どんな病気だったのでしょうか?

今回は、“燃える闘魂アントニオ猪木さんの病気についてや亡くなられたことへの世間の反応、さらにはプライベートなことについても調べてみました。

 

 

 

・プロフィール

 

引用元 https://mobile.twitter.com

 

名前 アントニオ猪木 (アントニオいのき 本名: 猪木 寛至〈いのき かんじ〉)

生年月日 1943年2月20日

現年齢 79歳

出身地 神奈川県横浜市鶴見区

身長/体重 190cm/102kg

血液型 AB型

所属 株式会社猪木元気工場

 

 

5歳の時に父親が死去。

13歳の時に母親、祖父、兄弟とともにブラジルへ渡り、サンパウロ市近郊の農場で少年時代を過ごす。

1960年4月、17歳の時にブラジル遠征中の力道山氏の目に留まり直接スカウトされる。

日本プロレスに入団、同年9月にデビュー。

力道山氏が亡くなるまで付き人を務める。

1962年からリングネーム「アントニオ猪木」を名乗る。

1964年、21歳の時にアメリカ武者修行に出発。

1966年に帰国後、「東京プロレス」を旗揚げするも3カ月で倒産。

日本プロレスに復帰する。

日本プロレス復帰後はジャイアント馬場氏とのタッグチーム「BI砲」としてインターナショナル・タッグ王座を獲得。

1972年、新日本プロレスを旗揚げ。

プロレスこそ全ての格闘技の頂点である」と標榜し、1976年にプロボクシング世界ヘビー級チャンピオンのモハメド・アリ氏と対戦。

1998年4月、55歳でプロレスを引退。

1989年、「スポーツ平和党」を結成。

同年の参議院選挙に出馬し初当選。

史上初のレスラー出身の国会議員となった。

2013年、参議院選挙に「日本維新の会」から出馬し当選。

2015年に離党し、「日本を元気にする会」の結党に参画した。

2016年、「日本を元気にする会・無所属会」の解散後は会派「無所属クラブ」に異動した。

 

 

 

・訃報を受け世間の反応は…?

 

アントニオ猪木さんの『最後の闘魂』チャンネルでは、これまで猪木さんの闘病生活の様子を公開してきました。

闘病生活の中で体重は激減し、身長も10㎝近く縮んだそうです。

私は憧れだった猪木さんの弱った姿を直視できず、一度もちゃんと動画を見たことがありませんでした。

今思えば、リアルタイムで見とくべきでしたね…。

 

 

その猪木さんが今年の8月28日、『24時間テレビ 45』で久しぶりにテレビ出演を果たされ、てっきり回復に向かわれていると喜んでいましたが…。

10月1日午前7時、帰らぬ人となりました。

稀代のスーパースターであるアントニオ猪木さんの訃報を世間ではどのように捉えているのでしょうか?

 

 

現役時代からのファンだけではなく、猪木さんの言葉に勇気をもらったり、感銘を受けた人たちからも、その死を惜しまれていました。

猪木さんが亡くなられたその日のSNS上では「猪木さん」「闘魂注入」「猪木ボンバイエ」「元気ですかー」「1、2、3ダー!」「アントン」など関連ワードが続々トレンド入りしたそうですし、どれだけ影響力のある人だったのか、この出来事だけでも分かりますよね。

 

 

 

・患っていた難病とは…?

 

猪木さんが病と闘ってきたことは多くの方がご存知だと思いますが、一体どんな病気と闘っていたのでしょうか?

記事によると死因は「心不全」とありますが、闘ってきた病気は別だったとか。

 

猪木さんは、2018年に腰の激痛で手術を受け、2019年秋に心疾患で2カ月半の入院生活を送っていましたが、2020年7月になって難病の「心アミロイドーシス」という病におかされていることを告白。

その年の冬、温泉療養中にまたしても腰の激痛に襲われ緊急搬送。

この時は、「敗血症及び呼吸不全」と診断されています。

 

2021年3月にはリハビリ専用病院に転院。

同年5月には「腸捻転」の疑いで緊急手術を受け、以後、車椅子生活に。

2021年11月27日放送の『燃える闘魂 ラストスタンド 〜アントニオ猪木 病床からのメッセージ〜』にて、正式な病名は「心アミロイドーシス」ではなく「全身性トランスサイレチンアミロイドーシス」だと公表。

ほとんどの方が聞きなれない病名だと思うのですが、「全身性トランスサイレチンアミロイドーシス」とはどんな病気なんでしょうか?

 

国内の患者数は約2000人。100万人に数人しか罹患しない「全身性トランスサイレチンアミロイドーシス」(指定難病28)にかかり、出口なき闘病を続けているからです。この難病は、体内のタンパク質がアミロイド線維という異常な構造に凝集し、全身の臓器に沈着するもので、寛解はありえません。進行を遅らすことしかできず、重症化すれば死に至ります。

出典 夕刊フジ

 

まさに“不治の病”と闘っていたわけですね。

猪木さんは亡くなる2、3日前から低血糖で体調を崩し、自宅での療養生活が続いていたそうで、前日持ち直したものの、状態が悪化。

自宅で息を引き取ったといいます。

猪木さんの苦しむ姿を見て来た長州力さんは、「やっと解放されましたね。リングを降りても貴方は闘魂アントニオ猪木でした。まさに闘魂そのものでした。猪木さんどうか安らかにお休みになって下さい」と、最期まで闘い抜いた猪木さんを称えていらっしゃいました。

 

 

 

・結婚相手の嫁や子供は…?

 

引用元 https://twitter.com/

 

アントニオ猪木さんは昭和のスターらしく、女性関係が派手だったといわれています。

生涯で4回の結婚と3回の離婚を繰り返してきたそうで、最初の結婚はアメリカ武者修行中だった1965年。

ダイアナ・タックさんというスパニッシュ系の黒髪美女で、彼女とは友人のホームパーティで知り合ったといいます。

1度は破局したものの、娘が誕生したこともあって復縁。

籍は入れずに内縁状態でしたが猪木さんの浮気がバレたことがきっかけで再び破局したんだとか。

娘さんは8歳の時に亡くなられています。

 

2度目の結婚は女優の倍賞美津子さんと。

 

 

1972年11月、倍賞美津子さんと結婚。

当時、1億円の結婚式を挙げたことが話題になりました。

倍賞さんとの間には娘さんが1人います。

倍賞美津子さんは猪木さんが立ち上げた「新日本プロレス」の発展に貢献するなど、公私ともに支えてこられましたが、(代理店契約で日本におけるタバスコの知名度を上げたことでも有名な)ブラジルでの事業に失敗したことや様々なトラブルを抱えていた猪木さんが、現実逃避するために女遊びに走ったことが原因で1988年に離婚。

 

3度目の結婚は、倍賞美津子さんと離婚が成立した翌年の1989年。

22歳程離れた尚美さんと結婚。

1990年には男の子が誕生しています。

20年以上も寄り添ってきましたが、息子さんが成人した2012年に離婚。

原因は猪木さんの不倫だったそうです。

 

その後、16歳年下の妻・田鶴子さんと4度目の結婚。

田鶴子さんは離婚原因となった不倫相手だったそうで、いわゆる“略奪婚”という形のようです。

人生のHomeLess アントニオ猪木写真集』の撮影を担当したのが田鶴子さんで、それが縁で親しくなり結婚。

結婚後は専属カメラマンのほか、ビジネスパートナーとして猪木さんを公私共に支えていたそうですが、2019年に膵臓がんで亡くなられました。

 

結婚の話題だけでも、猪木さんが枠にとらわれない“破格の人間”だったことがうかがえますよね。

抜群のスター性がありながらも、どこか人間臭さを感じさせる猪木さんの生き方や言葉遣いは人々を惹きつけました。

この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし 踏み出せばその一足が道となり その一足が道となる 迷わず行けよ 行けばわかるさ

猪木さんの踏み出した一足は今ではとても大きな道となりました。

プロレス界のレジェンド「アントニオ猪木」さんは文字通り伝説となり、これからもプロレスを愛する人々よって語り継がれていくことでしょう。

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

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