「ハンカチ王子」の愛称で親しまれた斎藤佑樹さん。
惜しまれつつも10月1日に現役引退を発表しました。
2006年の夏の甲子園の決勝は、高校野球ファンにとって今も語り草になっていますよね。
この大会だけでも投球数948を数え、その後進学した早稲田大学でも1年生から活躍・・・チームに素晴らしい結果をもたらしてきたことは事実なのですが、投げすぎで選手生命を縮める結果になったと悔やむファンもいます。
今回は、斎藤佑樹さんの引退の原因や今後の活動について調べてみました。
・プロフィール
名前 斎藤 佑樹 (さいとう ゆうき)
生年月日 1988年6月6日
現年齢 33歳
出身地 群馬県太田市
身長/体重 176cm/77 kg
血液型 A型
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
所属 北海道日本ハムファイターズ
2006年の夏の甲子園決勝で、駒澤大苫小牧の田中将大投手と2試合にわたる壮絶な投げ合いを演じ、早稲田実業を夏の甲子園初優勝に導いた。
また、マウンド上で汗をハンカチで拭く仕草や端正なルックスから「ハンカチ王子」と呼ばれ注目を集めた。
早稲田大学進学後、1年時からエースとして活躍し、4年間で31勝15敗、防御率1.77、323奪三振(東京六大学野球史上6人目となる通算30勝300奪三振を達成)の記録を残した。
2011年、北海道日本ハムファイターズにドラフト1位で入団。
1年目は4月にルーキー初勝利一番乗りを果たし、ローテーション投手として6勝6敗の成績を残した。
2年目には開幕投手を務め、開幕戦で初完投勝利、4月には初完封勝利を記録。
シーズン半ばから打ち込まれることが多くなり、5勝8敗でシーズンを終えた。
プロ3年目は、右肩の故障から1軍登板は1試合に。
以降は、7シーズンで4勝にとどまった。
2019年オフに同い年の一般女性と結婚。
2021年10月1日に現役引退を発表した。
・今までの通算成績は…?
早稲田実業時代には、斎藤佑樹さんがプロでどんな成績を残すのか、メジャーに挑戦してほしいなど期待を寄せた野球ファンは数多くいました。
しかし、「ハンカチ世代」と呼ばれていた1988年生まれの選手たちにプロの世界でどんどん実績を抜かれ、次第に「マー君(田中将大)世代」と呼ばれるようになっていったことも記憶に新しいところです。
斎藤佑樹さんの引退に野球ファンはどんな感想を抱いたのでしょうか?
斎藤佑樹さんには異常なアンチがいることも有名なので、偏ったコメントばかりにならないように日本ハムファンの集まる掲示板から感想を拾ってみました。
- 斎藤も引退か、お疲れさん
- プロ通算15勝でチームに貢献したと言われましても
- 斉藤は大学行かず高校からまっすぐプロ入りしていたらそこそこやれたんじゃないかとは思う
- ハンカチはプロ入りしたら巨人の越智みたいにフォロースルーで足をピーンと張るフォームになってたけど大学で崩されたのかな
- まあ斎藤は怪我する前までは戦力にはなっていたと思うよ。一応オリには9回完封して勝ってたしとりあえずお疲れさん
- 入団1年目で6勝だかやっとるからな、3年目以降がアレだが人気面とか貢献はしたからお疲れ様だな
- 斉藤はプロではまるでダメだったが、早稲田OBの間では今でも英雄だろう。早稲田の人脈で身の振り方も保証されてるんじゃないのかね
- なんだかんだで愛されてたしいざ引退が決まると寂しいね佑ちゃん。なんとかコーチとかでファイターズに残って欲しい
- 最後、マーと投げあってくれないかな?そしてマーから花束を…
引用元 https://twitter.com/gljv0txwsbfxmqh
辛辣な書き込みもあるにはあるのですが、日本ハムファンの集まるスレッドでしたので引退する選手に対する尊敬の念はあったように感じました。
ただ中でも、もっとやれたはずと悔やむ人が一番多かったでしょうか。
斎藤佑樹さんは、プロでどのくらいの成績を残したのでしょうか?
2021年シーズン、1軍での登板はありません。
2軍では、12試合(16.1イニング)、3勝1敗、防御率5.51の成績を残しています。
10月17日に引退試合が開催される予定で、その日に1軍登録されて1イニングだけ登板という形になるでしょうか。
プロ通算では、88試合に登板し、15勝26敗、防御率4.34の成績を残しました。
結果的にルーキーシーズンがピークで右肩下がり・・・というよりも怪我の影響で真っ逆さまの成績になりました。
実際に年度別の成績を見ていただければ分かると思いますが、転換期は2013年でした。
年度 | 球団 | 登板 | 先発 | 勝利 | 敗戦 | 勝率 | 投球回 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 | WHIP |
2011 | 日本ハム | 19 | 19 | 6 | 6 | .500 | 107.0 | 62 | 41 | 32 | 2.69 | 1.47 |
2012 | 19 | 18 | 5 | 8 | .385 | 104.0 | 59 | 60 | 46 | 3.98 | 1.67 | |
2013 | 1 | 1 | 0 | 1 | .000 | 4.0 | 1 | 6 | 6 | 13.50 | 2.50 | |
2014 | 6 | 6 | 2 | 1 | .667 | 26.0 | 20 | 15 | 14 | 4.85 | 1.69 | |
2015 | 12 | 7 | 1 | 3 | .250 | 42.1 | 24 | 28 | 27 | 5.74 | 1.56 | |
2016 | 11 | 3 | 0 | 1 | .000 | 23.2 | 14 | 12 | 12 | 4.56 | 1.59 | |
2017 | 6 | 6 | 1 | 3 | .250 | 28.0 | 14 | 23 | 21 | 6.75 | 1.57 | |
2018 | 3 | 2 | 0 | 1 | .000 | 8.2 | 3 | 8 | 7 | 7.27 | 2.31 | |
2019 | 11 | 1 | 0 | 2 | .000 | 21.0 | 12 | 12 | 11 | 4.71 | 1.29 | |
通算:9年 | 88 | 63 | 15 | 26 | .366 | 364.2 | 209 | 205 | 176 | 4.34 | 1.59 |
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一体、斎藤さんに何が起こったのでしょうか?
・現役引退した理由は…?
やはり、成績が伸び悩んだ理由として一番の理由は怪我との戦いに苦しんだことでしょうか。
1度目の大きな怪我は、早稲田大学2年(2008年)の時に経験した「左の股関節」の故障です。
投手にとって股関節の故障は命取りといっていいかもしれません。
ダルビッシュ有投手は、7月に股関節を痛めてからは7連敗を喫し現在も痛みは解消していないそうです。
ソフトバンクのデニス・サファテ投手は2018年に右股関節を手術し、その後も状態は上がらず再び手術を行っています。
2009年に球速を追い求めた結果フォームを崩したと斎藤さんは明かしていますが、実は股関節の痛みが原因だったと後に指摘されています。
そして、2度目の大きな怪我は、プロ入り3年目(2013年)の「右肩関節唇(かんせつしん)損傷」の疑いというもの。
肩関節唇損傷、断裂をすると、投手生命が終わると一般的にはいわれています。
関節唇は肩関節が前後、上下にぶれないように支える働きをしており、通常骨にしっかりと付着していますが、肩を使いすぎたり、肩にけがをしてはがれることがあります。これが関節唇断裂です。
野球ではボールを投げすぎたり、ダイビングキャッチで肩を打撲したり、スライディングで肩をねじったりして関節唇を傷めます。はがれる部位は肩の上方、前方、後方と様々ですが、野球肩では上方の関節唇がはがれることが多いです。
残念ながら、一度はがれた関節唇が自然に治ることはありません。
上方の関節唇がはがれると肩の前後方向と下方のぶれが大きくなり、投球時に肩の痛みや肩が抜ける感じやひっかかり感があります。前方関節唇は、肩が脱臼・亜脱臼した時に断裂し、強い前方不安定性が残ります。
これまで、実績ある投手や将来を嘱望された投手が「肩関節唇」を痛めたことで、手術しても状態が戻らず引退に追い込まれたり、回復したとしても成績が伸び悩む投手がほとんどでした。
斉藤和己さんは、2008年1月に右肩関節唇修復手術を行い、リハビリに5年間掛けたものの1軍で登板する機会はありませんでした。
斎藤佑樹さんも右肩関節唇を痛めたことから、3年目以降は4勝にとどまっています。
さらに昨年10月に右肘じん帯断裂が判明し、「じん帯再建手術(トミー・ジョン手術)」を受けるか保存療法をとるかで悩んだそうですが、1年以上リハビリを要する手術を受けるには球団にこれ以上迷惑を掛けるわけにはいかないと保存療法を選択。
今年7月12日、イースタン・リーグのDeNA戦で269日ぶりに実戦のマウンドに立ったものの、シーズン通し12試合に登板、3勝1敗、防御率5.51に終わっています。
そして、10月1日に現役引退を発表。
「去年、ヒジを痛めた段階で、今年1年、もし結果が出なかったら......という覚悟は持っていました」と、後進に道を譲ることを選んだそうです。
引退発表後、記者からプロ野球生活をやり尽くせたかと尋ねられると…。
「それはじつは去年くらいから思っていたんです。それでも22歳で入ったプロの世界で33歳の今年、11年目のチャンスをもらえたのは、もしかしたら野球の神様からのご褒美だったのかなって......。全部、ゾロ目だし(笑)......いまはそんなふうに思っています」と、斎藤さん自身はすでにやりきった感覚であったことを明かしています。
若い頃は言動から生意気だと批判されることもありましたが、怪我との戦いや年齢を重ねた結果、人間的に成長したのではないでしょうか?
今後はどのような活動をされていくのか気になりますね…。
・今後の活動は…?
斎藤佑樹さんといえば、野球選手の中では知名度が抜群に高いことから、今後の活動に有利に働くのではないかといわれています。
日本ハム入団1年目には、ユニホームなど関連グッズの売り上げは20億円にも上ったといわれており、現在も人気は健在のようで、10月17日のオリックス戦で斎藤さんの引退セレモニーが行われることが発表されると、チケットはすぐに完売してしまいました。
いかに斎藤さんの人気が高いかが証明された形になり、すでにキャスターや野球解説者として争奪戦が繰り広げられているといわれています。
引用元 https://instagrammernews.com/
また、投手コーチとして日本ハムに戻って来る(そのままコーチ就任もある)のではないかと推測する人もいるようです。
東京オリンピックで侍ジャパンを金メダルに導いた稲葉篤紀さんが、来季から日本ハムの監督に就任することが既定路線だといわれています。
栗山英樹監督や稲葉さんは、報道番組のスポーツコーナーで野球解説を担当し後に指導者への道へ進んでいますが、斎藤さんも同様に野球解説者として活動した後にコーチに就任する形になるのではないかといわれています。
他にも日本ハムのフロント入り、北海道ローカルタレント、教師、早稲田実業監督、YouTuber「ゆうチャンネル」、政治家などになるのではないかとも噂されています。
斎藤さんは怪我で選手として大成できなかった分、指導者として選手をきちんと管理し育成することが出来るのではないかと個人的には考えているのですが、引く手あまたの斎藤佑樹さんですし、どの道に進もうとも成功されるのではないでしょうか?
斎藤佑樹さんの第二の人生にも注目ですね!
最後までお読みいただきありがとうございます。