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田中達也の生涯年俸はいくら?2024現在の仕事&娘もサッカー選手?

元サッカー日本代表FW田中達也さん。

2021年シーズン終了後、“ワンダーボーイ”こと田中達也さんも今季限りでスパイクを脱ぐ決断をしました。

あれから3年近く経ちますが、現在田中達也さんは何をされているのでしょうか?

今回は、田中達也選手について調べてみました。

 

 

 

・プロフィール

 

名前 田中 達也 (たなか たつや)

生年月日 1982年11月27日

出身地 山口県周南市

身長/体重 167cm/63kg

血液型 A型

利き足 右足

ポジション FW

所属 帝京高校 → 浦和レッズ → アルビレックス新潟(引退)

 

 

 

兄の影響でサッカーを始め、小学2年生で周陽スポーツ少年団に加入。

周陽中学校卒業後、帝京高校へ進む。

1年生の時に全国高校選手権準優勝。

2年生の時には全国高校選手権、全国高校総体でベスト8に進出。

2001年、浦和レッズに入団。

同年4月29日、鹿島アントラーズ戦で初出場を果たし、5月日の東京ヴェルディ戦で初ゴールを挙げた。

2003年にはリーグ戦26試合に出場し11得点を挙げ、JリーグカップではMVPとニューヒーロー賞を受賞。

翌2004年は23試合に出場し10得点、主力として定着。

ワンダーボーイの愛称で親しまれ、浦和レッズを象徴する選手に成長。

しかし、2005年10月の柏レイソル戦で土屋征夫選手からタックルを受け、右足首脱臼骨折の重傷を負った。

これ以降、度重なる負傷に悩まされるように。

2013年、アルビレックス新潟へ移籍。

2021年12月4日、2021シーズン限りで現役引退することが発表された。

 

 

 

・生涯年俸はいくら…?

 

 

 

・年俸推移

  • 2002年 480万円 浦和レッズ
  • 2003年 1100万円 浦和レッズ
  • 2004年 2300万円 浦和レッズ
  • 2005年 3200万円 浦和レッズ
  • 2006年 3500万円 浦和レッズ
  • 2007年 3600万円 浦和レッズ
  • 2008年 4800万円 浦和レッズ
  • 2009年 8000万円 浦和レッズ
  • 2010年 8000万円 浦和レッズ
  • 2011年 8000万円 浦和レッズ
  • 2012年 7000万円 浦和レッズ
  • 2013年 3500万円 アルビレックス新潟
  • 2014年 3000万円 アルビレックス新潟
  • 2015年 3000万円 アルビレックス新潟
  • 2016年 3000万円 アルビレックス新潟
  • 2017年 3000万円 アルビレックス新潟
  • 2018年 2000万円 アルビレックス新潟
  • 2019年 2000万円 アルビレックス新潟
  • 2020年 2000万円 アルビレックス新潟
  • 2021年 2000万円 アルビレックス新潟

※2018年からは所属クラブがJ2だったため、年俸は公表されていません。

 

 

 

・今までのゴール数は…?

 

2021シーズンは、引退試合となった今季最終戦のFC町田ゼルビア戦まで出場機会がなく無得点でした。

町田ゼルビア戦では先発出場し、前半13分にシュートを放ちましたがゴールならず。

後半32分に退き、2020年シーズンに続き無得点に終わりました。

アルビレックス新潟では、リーグ戦155試合に出場し13得点を挙げています。

2012年まで在籍していた浦和レッズでは、リーグ戦233試合に出場し56得点を挙げました。

 

 

主な成績

・J1リーグ通算 333試合66得点

・J2リーグ通算 56試合3得点

・カップ戦通算 64試合17得点

・天皇杯通算 22試合11得点

・ACL通算 8試合3得点

・日本代表通算 16試合3得点

 

 

 

・現役引退を発表…?

 

21年間の現役生活に終止符を打った田中達也さん。

引退理由はなんだったのでしょうか?

 

引退を決めた時期については「1カ月くらい前に考え、本当に決断したのは3~4日前」という。「膝のケガが一番。そんな状態でプレーするのはチームメートに失礼だと思ったし、自分自身に納得がいかなかった」と慢性的な痛みを抱える左膝の状態が思わしくないため、引退を決断したと明かした。

出典 スポニチ

 

左膝の状態が悪く、満足するプレーができないことが引退の主な理由のようです。

スピードを活かし泥臭くゴールへ迫るプレースタイルには膝の怪我はプレーヤーとして命取りで、大ベテランと呼ばれる年齢の影響もあったのか、(現役続行の意思は当初あったそうです)新天地でプレーするという気持ちにはなれなかったのかもしれません。

 

田中達也さんを襲った怪我といえば、2005年に土屋征夫選手から悪質とも捉えられるタックルを受け、右足首脱臼骨折の重傷を負ったことが今でも鮮明に記憶に残っています。

多くのサッカーファンから、あの怪我さえなければもっと華やかなサッカー人生になったのでは?と悔やまれており、また、あれからよく16年もプレーできたと感嘆や称賛する声も挙がっています。

ここ数年は怪我の影響もあり徐々に出場機会が減り、2019年シーズン後に一度はクラブから契約満了が発表されましたが、すぐに再契約を結んでいました。

これは田中達也さんの人間性やチームへもたらす良い影響を考えての契約だったのではないでしょうか?

 

プロ21年目の今季はここまで公式戦の出場はなく、日々の練習ではケガの影響で離脱を繰り返した。ただ、練習に戻れば、常に試合をイメージしてパスを呼び込み、シュートを打ち続けた。ピッチ外では「チームのためにできることはないか」と新人のDF遠藤、MF三戸、FW小見らにアドバイスを繰り返した。来季のチームには「サッカーは成熟しているので、先を見すぎずに1戦1戦しっかり戦ってほしい」とエールを送った。

出典 日刊スポーツ

 

怪我で離脱、出場機会に恵まれない時期も腐らず真摯に練習に取り組む田中達也さんの姿は若手選手の模範となり、田中達也さんから若手へ積極的にアドバイスを行っていることもクラブから高く評価され、選手からも信頼や尊敬を集めることに繋がっています。

引退試合となった町田ゼルビア戦では、それを象徴する場面が見られました。

 

 

田中達也さんに交代が告げられると、両チームの選手、ベンチメンバー、コーチングスタッフが“花道”を作り、ピッチを去る田中達也さんを送り出しました。

この光景をサッカーファンはどのように感じたのでしょうか?

twitterでファンの反応を見てみました。

 

 

試合中に花道を作って選手を送り出すことは異例で、この光景を見たサッカーファンの多くは感動している様子でした。

 

彗星の如く現れながらも怪我が多かった不運の選手だけに、田中達也さんに対して思い入れがあるファンは多く、花道で送り出される感動と共に現役を終える田中達也さんへ労いの言葉がたくさん投稿されていました。

両チーム、審判からもリスペクトされていなければ試合中の花道を実現することは難しいでしょうし、たくさんのファンから労いの言葉を掛けられていることからも、いかに田中達也さんのサッカー人生が素晴らしかったのか伝わってきますね。

田中達也さんのサッカー人生は終わりを迎えましたが、第二の人生はこれからです。

田中達也さんはこれからどんな道を歩んでいくのでしょうか?

 

 

 

・現在の仕事は…?

 

田中達也さんは、これからどのような活動をしていくのか現在のところは発表されていませんが、大方の予想では指導者の道へ進むのではないかといわれています。

2014年に「日本サッカー協会公認C級指導者ライセンス」取得のための講習会に参加しており、今後はJリーグのトップチームの監督としてチームを指揮することができる「公認S級コーチ」の資格取得を目指すのではないでしょうか?

古巣の浦和レッズアルビレックス新潟どちらのファンからもコーチとして招聘を願う声は多いのですが、個人的にはアルビレックス新潟にコーチとして残るのではないかと考えています。

※2021年の情報です。

 

2022年1月、アルビレックス新潟のトップチームのアシスタントコーチに就任。

2024年もアシスタントコーチを務め、若手育成に携わっています。

 

 

 

・娘は田中聖愛

 

 

田中達也さんの娘さん・田中聖愛さんは、アルビレックス新潟レディースU-18に所属しており、先日トップチームに登録されたことがクラブから発表されています。

田中聖愛さんは、U-16日本女子代表候補にも選出された有望な選手で、得意なプレーとして「縦への推進力やスピード、ドリブル」を挙げています。

※2023年にトップチームに昇格しました。

この繋がりから、今後田中達也さんが女子サッカーの指導者を目指すこともあるかもしれませんね。

田中達也さんがこれからどんな選手を育てるのか、チームを率いどんなサッカーを目指すのか今から楽しみです。

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

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